消防団6年目を迎えて

糸島市の雷山分団と福津市の第3分団と二つの市を跨ぐ分団に入団して合わせて5年が過ぎました。2018年4月から6年目を迎えています。

5年前、入団した最初の月に大学院生が消防団に入団するのは珍しいという事で西日本新聞に当時の班長と一緒に紹介してもらいました。最も身近な自治(政治学)の研究を、地域に根差して実践しながら行いたいと福岡県糸島市に住み始めて1年目が終わるころ。当時の区長さんからこの行政区では消防団に入る人が6年も出て来ておらず、若い人たちも中々、見つけきれん。地元の若い人が入団するきっかけが欲しいと入団を打診されました。

もっと地元に深く関わりたいと思っていたのと、よそ者になかなか声がかからない話なので嬉しくて、二つ返事で答えました。

その後、先輩たちから本当に入って大丈夫なのかと何度も確認され、大丈夫ですよとさらっと答えたのですが消防団の仕事の大変さを理解するのはそれから少し先のことでした(笑)

この新聞が載った数日後に分団長と初めて顔を合わせたのですが「新聞に載ってたやつやな、俺が映っとらんぞ」と冗談交じりに歓迎して貰い、団員からも九大生で覚えられるほろ苦いデビューでした。先輩に杯を返しながら飲み交わす返杯の文化を知ったのもこの時でした。

消防団では操法大会のサポートや春や秋の火災訓練、出初式など出毎に顔を出す中で名前で言って貰える人も徐々に増え、それぞれの消防団に入った経緯や地元への想いをたくさん聞くことができました。

地元を守る人たちの生き方に触れると同時に、消防団の大切さを身にしてみて理解できた貴重な経験でした。何より有事の際に身体をはって動く存在が頼もしかったです。

一番最初に教えてくれた班長、そこで出会った消防団の先輩たちにはその後、公私ともに色々な場面でお世話になりました。

糸島の中学生に地元で働く大人たちの生き方を知って欲しいと、中学生向けに冊子の制作をクラウドファンディングを使って資金を集めた際には、地域が違うにもかかわらず、当時の地元の班長代表が糸島の子供たちに地元で働く選択肢が生まれたらとご支援を頂きました。

班長は福津から縁あって移り住んでいて糸島で根差して仕事をしている方でした。それまで、きちんと話したこともなかったのですが、他所から来て苦労してきたからこそ応援したいという思わぬ先輩の心意気に感動し、心が震えました。

この先輩以外にもこのプロジェクトでは多くの団員の方から応援の言葉や支援をしてもらい、この冊子制作も上手くいくことができました。

取り組みについては下記のURLをご参照ください。

https://faavo.jp/fukuoka/project/380/report/3018

また、糸島の広報誌にも紹介して貰い、自分が何をしている者なのか理解してもらえるきっかけがうまれ、地域の方からも温かい応援の声をかけてもらえるようになりました。糸島市からも応援してもらいおおいに勇気づけられました。

2013年4月から2016年3月までの3年間、地域を陰ながら守っている消防団の方々の心意気に触れ、この入団をきっかけに糸島で取り組むうえでも多くの活動の機会を頂くことができました。

その後、2016年4月に福津市に移住してきてからも暮らしている集落の団員の方が移住してくるタイミングで定年で抜けるのと重なり4年目の消防団を福津市で迎えることになりました。

福津市第3分団に入団。この分団は福津市の中でも小規模の分団で雷山分団は60名近くいたのですがこの分団は団員合わせて20名。先輩の顔と名前もすぐに覚えることができる、アットホームな分団です。

これまで、ポンプ車を扱う事はなかったのですポンプ車の操作が基本。

火事があった時に前線に立つことがあるからです。糸島にいた頃の班は町中だったのもあり、消した後のフォローやその後の対応を先輩たちから学びました。

福津ではこの間、火事の現場に何度か居合わせたのですが消防団員が駆け付け、放水をする現場を見てきました。いかに早く水を送れる場所を見つけ放水をするか、火が目の前に迫る命がけの現場に出会うことも何度かありました。

火事への対応や扱う機材、文化の違いを二つの分団を体験してきたからこそ理解できることがたくさんあります。その中で、地域を想う気持ちや有事の際に駆けつける想いは共通だなとしみじみと感じます。

お世話になっている津屋崎の地で、今年度は団歴相応の技術を身に着けることができるように励みたいと思います。

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